日本酒を知る

日本酒と文化

日本酒と文化

日本酒は古来より日本の文化と深く結びついて、人と共に歩んできました。日本酒と文化の関わりについて知ることで、
もっと美味しく、日本酒を楽しめるようになります。

風土が産んだ日本酒の多様性

Diversity of Sake by Climate

ユーラシア大陸北に半弧状に長い島嶼(とうしょ)国家として存在する日本は南かられる北から南西へ流れる黒潮(暖流)と北から南西へ流れる親潮(寒流)に囲まれ、北部と南部、太平洋側と日本海側で気候風土が大きく異なります。全体としては春夏秋冬の違いが明瞭な温帯モンスーンに属していながら、列島は中央部分が山脈によって隔られているので、その両側で同じ緯度でも気候の特性が大きく異なっています。

この結果、収穫される農水産物も地域によってかなり違いが生まれてきました。現在でこそ日本中でさまざまな食材を味わうことができますが、かつては地域の食材を使って地域で発達した料理法で食べるのが基本でした。したがって、一口に日本料理と言っても地域により食材や好まれる味わいや調理法、料理技法にも違いがありました。

日本全国に千社以が現在も残る酒蔵の酒も、地域の食習慣に合うということが基本になっています。赤みの魚が多く獲れる太平洋側の沿岸、白身魚の多い瀬戸内海沿岸、冬季は積雪が多く油の乗った盛んが多い日本海沿岸、保存食の発達した内陸部、そして、江戸時代(17世紀〜19世紀)から当時世界一の消費都市であった江戸向けの酒をつくるところもあり、それぞれの生活習慣や食文化にあわせた日本酒が長い年月の中で各地で磨かれ発展していきます。発展してきたのです。

伝統行事と深く関わる日本酒

Sake deeply related to traditional event

伝統的な神道は、自然崇拝と祖霊信仰に基づいた多神教で、八百万(やおよろず)の神々が全国各所に存在しています。農耕文化を基盤とした日本は稲作の北限の地でもあります。温度、日照、風 雨など、耕作に厳しい気候条件もある中で年に一回収穫される米は貴重な主食材でした。豊作を喜び、米を使って酒をつくり神様にお供えして感謝することは太古より行われてきました。

神様へのお供えものは神饌(しんせん)と呼ばれ、地域によりいろいろな産物のお供えものがありますが、欠かせないものは御酒(みき)(米を発酵させてつくる酒)、御飯(みけ)(洗米や白飯)、御餅(みかがみ)(米を描いた丸餅) の三種類で、どれも原料には米が使われています。 現在でこそ主食の米は、年中食べることができますが、昔は米に雑穀などの畑作物を混ぜた糅飯(かてめし)がふだんの主食であり、冠婚葬祭などハレの日にだけ米100%の食事を摂ることができました。とくに、この貴重な米をふんだんに使い、手間をかけてつくった日本酒は、お供えものの中でももっとも重要な位置を占めてきたのです。人々は、祭礼のときに神様に御酒を供え、それを一緒に食することにより神との一体感を持ち、加護と恩恵が得られるとして、今日にも受け継がれています。

現在でも、伝統的な行事では、神様を身近く招いて酒でもてなすかたちが随所に残っています。たとえば、新しく建物を建てるときには地鎮祭(じちんさい)という行事が行われ、日本酒が供えられ、土地に撒かれ、そして振る舞われます。日本酒は、季節折々の変化を感じとりながら、邪気を払い、長寿を祈願して飲まれてきました。老若男女を問わず酒で祝い、絆を固める行事の中で大切な役割を担ってきたのです。
また、お正月には屠蘇と呼ばれる十種類ほどの薬草と清酒を混ぜた お酒を飲み、一年の無事を祈る習慣が伝わっています。

約束事に欠かせない日本酒

Sake deeply related to traditional event

日本の社会では、古くから人と人が特別な関係を結ぶときに酒を介在させることが多くあ さんさん くど 現代社会にもそれが伝わっています。儀礼のなかでもっとも一般的なものが「三三九度」と「呼ばれる「盃事」(さかずきごと)で、大小三種類の盃に酒を注ぎ、それぞれを三口で飲みます。より慎重を期すと言う意味で回を重ねるのですが、そこには縁起のよい三という数が選ばれています。とくに、結婚式のときに神前で結婚を誓う盃事がよく行われています。結婚式以外にも、かつては他人 同士が兄弟、親子同様の関係を結ぶときの「固めの盃」という習慣もあり、盃をかわすという言葉は欧米社会の契約を象徴するような意味を持っています。特別な契約でなくとも、「一緒に酒を飲んだことがある」は、「同じ釜の飯を食う」と同じ意味で、親しい人間関係を表します。

日本の宴会では「今日は無礼講でいきましょう」という台詞をよく耳にしますが、これは、上下の隔たりなく酒宴を楽しむことを意味し、人間関係を深めるために行われます。現在に伝わる酒宴の席では、はじめに主催者や主賓から乾杯の発声と言われるあいさつが行われることが通例です。この「礼講」をすませて、はじめて無礼講に入るのです。その乾杯の発声では「みなさまのご健勝を祈念して・・・」という言葉がよく使われます。

「祈念」という言葉は、神様に祈るということを意味すると同時に、本来行うべき盃事、すなわち伝統的な礼講を「乾杯」という行為に象徴させて、その会の主旨の確認を簡略化したものである、と言えます。ゆえに「乾杯」のときには、日本酒を使うことが望まれます。

もともと、祝い事だけに限らず、葬儀・ 仏事などの席でも日本酒が飲まれることが通例でした。故人を偲んで日本酒を飲み、故人と最後のお別れをして飲む。日本の生活の 喜怒哀楽のなかには、日本酒は欠かせないものだったのです。

贈答文化と日本酒

Gifting Culture and Sake

日本酒は、何かにつけ人々に好んで飲まれたのはもちろんですが、古くから贈答品としてのやりとりも盛んでした。まずは、人々から神様へのお供えものとして酒が欠かせません。正月、祭礼などのときに酒をお祝いとして持ってゆきますが、そのときも「御神前に」とか「御仏前に」 という言葉を添えていたものです。まずはお供え、その後にお下がり※として、神人が一体となりそのお酒で饗宴が行われるのです。つまり、ハレの日の贈答品としても欠かせないものが日本酒なのです。
※神仏にお供えした後の飲食物

また、お見舞いやお悔やみにも日本酒が古くから使われてきました。特に火事、災害などの ときのお見舞いには日本酒が欠かせません。火事や災害のときには近隣の人々が片づけなどを大勢で助け合う習慣があるからです。その人々をもてなし、浄めるために日本酒が使われるのです。したがって、火事や事故の見舞い品としても日本酒を届けるという風習が定着しました。

そして、もうひとつが日本独自の夏の「お中元」、年末の「お歳暮」というギフトです。これは、お世話になった方へのお礼の気持ちを込めて贈るものです。江戸時代に中元、歳暮の習わしがはじまったときは、部下から上司へ感謝の気持ちを込めて届けるというものでした。それを受けた上司は「倍返し」の贈り物を返したものです。やがて上下関係とは無関係に広く行われるようになっていきましたが、ここでも中心となってきたのは日本酒です。

多種多様な物にあふれるようになった現代社会でも、お供え、お見舞い、中元・歳暮といった風習は日本社会に深く根ざして 残っており、日本酒は変わらず贈答の中心 的な商品のひとつとして存在感を発揮しています。

日本酒の発達と流通の関わり

Relationship between the development of sake and distribution

もともと日本酒は、全国各地で地産地消の形でつくられていました。室町後期から江戸時代初期(16世紀~17世紀)にかけては、奈良、伏見、伊丹など近畿地方で徐々に酒造業の発達がみられましたが、その後江戸時代に大きく変化していきます。300年ほど平穏な幕藩体制が続いた間に、国内経済も著しく発展したからです。酒づくりは、幕府及び諸藩の免許制度により製造量・販売先が厳しく統制されていましたが、政治の中心であった江戸の人口は既に100万人を超え、そこで飲まれる膨大な酒の供給が求められるようになります。

江戸への酒の供給地として、現在の兵庫県の灘が一大酒産地として成長を遂げます。 関西地方は奈良時代からの酒づくりの技術の蓄積がもともとあった上に、灘の地は冬の寒気が厳しく、酒づくりに適した気候でもありました。さらに、酒づくりに適した宮水(みやみず)と呼ばれる硬水が発見されます。経済の中心地の大坂にも近く、ここから江戸まで酒を運ぶための樽廻船(たるかいせん)とよばれ 専用船を使った航路が設定されます。江戸時代を通じて日本列島を取り巻くようにいくつか の航路が設けられていきますが、酒を運ぶことが最初の目的でした。

京都・御香宮神社の御香水
兵庫・今津 樽廻船の石碑

江戸の陸揚拠点の新川には酒問屋街も形成され、東日本の酒流通の一大拠点となります。灘酒はは江戸という都市住民の嗜好に合った酒づくりを行うことで発達を遂げ、日本を代表する大産地として成長します。この結果、江戸の町では年間を通して潤沢に日本酒が供給され、庶民にいたるまでいつでも日本酒を飲めるようになり、今日に至るまで単に酒といえば日本酒を指すようになりました。

明治時代に入り、物流の主力が鉄道へ移り、京都の伏見、広島の西条、福岡の城島など、外部への販売を主力とする酒蔵集積地も複数生まれました。 現代では、品質管理の行き届いたトラック輸送が発達して、日本中で各地の酒を手軽に飲めるようになりました。現在の日本酒生産量の上位は、兵庫県、 京都府、新潟県、埼玉県、秋田県、愛知県です。

古くから今に至るまで、
日本酒は、日本文化と
切っても切れない関係なのです。

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