過去のやり方の繰り返しではなく、
時代と人にあわせて
常に変革し続けること。
師からは酒造りの技術以上に、
「情熱が何よりも大切である」
ことを学びました。
受け継がれてきた「日本の酒造り」
その伝統の一部になれたことを、
誇りに、そして光栄に感じています。

新藤酒造店/Hachidori Sake 杜氏
ステュアート・モリス
追い求めたいと思える存在なんです。
はじめに、新藤酒造店に
来る前のことを教えてください。
米国ボストン郊外のレミンスターという町の出身です。これまでいくつかの仕事をしてきましたが、人生の大半はシェフとして厨房で働いてきました。子どもの頃からずっと日本文化が大好きで、自分にとって本当に重要な存在であり、常に追い続けてきたものです。
シェフとして、いつも食べ物や飲み物のそばに身を置いてきました。その後、日本酒に恋をして日本酒ソムリエになり、レストランで日本酒を勧めるのが仕事になりました。アメリカ西海岸の日本料理店や、直近では著名なシェフのもとで働き、ナパのワイン業界で有名なジョン・アンソニー・トゥルチャード氏のもとでも働いています。
シェフから日本酒の道へ。日本の酒蔵で
働こうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
日本酒は、私が心から惚れ込み、追い求めたいと思う存在になっていきました。いつ「日本の酒蔵で働きたい」と本気で決めたのかははっきりとは覚えていませんが、自然な流れだったと思います。そうなったことを、とても嬉しく思っています。
数ある酒蔵の中で、
新藤酒造店を選んだ理由はなんですか。
カリフォルニア州サンタローザの「Hana」というレストランで働いていた時、新藤さんの日本酒を紹介されました。実際に飲んですぐに本当においしいと感じ、大ファンになりました。幸運にも新藤さんご本人にお会いすることができ、すぐに彼の人柄に惹かれ、すぐに親友になりました。本当に素晴らしい人です。実は他にもいくつか蔵の門を叩いたのですが、新藤さんが最も受け入れてくれ、「ここで働きたい」と心から思いました。だからここに来るのが最も自然な流れでした。彼のお酒も大好きです。
他のものでは決して辿り着けない場所へ連れて行ってくれます。
実際に日本酒の酒造りを覚えるにあたって、
どんなことが大変でしたか。
特定の作業というわけではありません。「何を、いつ、どうすべきか」という詳細をすべて把握するのが一番大変でした。初心者として基礎を学び、実際に酒を造れるようになるまでのプロセス全体が、最も困難な道のりでした。
蔵人とのコミュニケーションが難しいこともありましたが、面白いことに、11年も一緒にやってきた中で、私たちの間には、いわば「私たちだけの言語」のようなものができました。他の人には何を言っているのか理解できないかもしれませんが、私たち同士では理解し合えているんです。日本語と英語が混ざったような、自分たちだけの言葉で話している感覚ですね。最初のうちは少し大変でしたが、年を重ねるにつれてずっと楽になってきました。
日本で長年、酒造りに携わって、技術を超えて
今も酒造りの姿勢として心に残っている教えは
何でしょうか。
これはとても興味深い話なんですが、新藤さんは日本酒の技術というより、人生について多くのことを教えてくれました。一番大切な教えは「情熱が何よりも大切だ」ということです。自分がやっていること、造っているものにどう向き合っているか。そこに情熱があれば、日本酒に表れます。情熱こそが自分を突き動かし、良い酒を造る原動力になり、他のものでは決して辿り着けない場所へ連れて行ってくれます。
そしてもう一つ、「本当の意味での勤勉さ」も教えてくれました。彼は本当に、信じられないほどずっと働いています。彼自身の背中を通じて、勤勉であること、常に周囲で起きていることに注意を払うことを学びました。「情熱」と「勤勉さ」、この二つが私にとって最も大切な教えです。