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秋祭りの賑わいも去り、静かな秋の夜長には、やはり読書が似合います。江戸の昔の人々も、ゆるりとした心持ちで、書物をひもといたことでしょう。版木で刷られた書物を貸し本屋が担いでまわった時代です。そのなかで1700年代の後半(寛政・文化の頃)から、大ベストセラーになった旅行記がありました。京都の医師である橘南谿(たちばな
なんけい)が記した『東西遊記』です。
これは京都から東方を旅した『東遊記』と西方を旅した『西遊記』から成っています。あくまでも医師が各地の医療修行しようとして記録したものですが、自分の足で旅するしかなかったこの時代に、東西の名跡、風聞をつぶさに記した旅行記のひとつとして人気があったようです。
さてこの南谿先生、イケる口であったようで各地で土地の酒を味わっていました。そして薩摩に訪れた際には、芋焼酎を大絶賛し、こんなことを書いています。
「余も其法を伝え、彼地にて其道具求め帰りて、今にいたり折々我家の飲料を造る。…是又風流のものなれば、大いに賓客を饗応に足る。他国に此法なきはいか成ゆえにや」。
この先生はわざわざ焼酎造りの道具を持って帰り、京都で自ら芋焼酎を仕込んで、客をもてなしていたというのです。“こんな風流な酒を、他国の人間はなぜ造らないのか”という最後の一言にも力が入ります。
開聞岳(別称:薩摩富士)では船の出待ちに地元民と焼酎交歓会し、7月末に薩摩入りした先生が出国したのは翌年2月のことです。随分長い酒の旅の顛末(てんまつ)は、『東西遊記』の読者の喉を、グビグビさせたに違いありませんね。 |
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