TOP本格焼酎と泡盛って何?今日の気分は?あらかると春秋謳歌コラムライブラリイベント情報検索

本格焼酎と泡盛
春秋謳歌 -南からの焼酎便り-
   
- 第19回 -
第19回 酒の原点 奄美黒糖焼酎
 奄美の海は美しい。陽光を受けて輝く紺碧の海は、苦闘の歴史を海の底深く沈め、南国の明るく情熱的な光で見るものを魅了する。奄美でまず思い浮かぶのはサンシン(三味線)と島唄、そして黒糖焼酎の3点セットからなる宴席である。陽気で賑やかな酒席ではひとり静かに盃を傾けるなんてことはできない。熱気にほだされ、知るも知らぬも踊りの輪に引っ張り出され、奄美の空気に酔っ払い、ここだけでしか味わえない開放感に浸ることになる。そして、島唄と焼酎は生きるために欠かせないものであったことに思いを馳せ、酒の原点がここにあることを実感するのである。
 底抜けに明るく楽しい宴席だが、島歌の歌詞には悲劇的なものが多い。圧政の中で男女の仲を裂かれる悲劇、黒糖地獄の中での苦しい生活などなど。その中で人々はたくましく、したたかに生きてきた。その中から生まれたひとつが黒糖焼酎である。

沖縄の夜は楽しい
沖縄の夜は楽しい
 江戸時代、黒糖による焼酎製造は厳禁だったため、奄美の黒糖焼酎の正式な記録は残っていない。記録に現れるのは昭和21年に始まる米軍統治下の時代である。およそ半世紀前の明治32年に禁止になっていた自家醸造が、歳入確保もあって、主要食糧を使わないことを条件に奄美諸島に限り解禁され、黒糖やソテツデンプンが主に使用されるようになる。たが、実際は主要食糧も多く使用され、密造が横行したことから、昭和25年、自家醸造は禁止された。奄美の酒造業は沖縄の泡盛業者が先鞭をつけたものだが、主要穀類の使用が禁止された奄美では、この頃に泡盛の米麹造りの技術と黒糖を組み合わせた独自の焼酎が編み出されたものと思われる。

 昭和28年の本土復帰の際、黒糖に米麹を併用することを条件に、奄美群島区に限り、焼酎として認められることになるが、歴史の波に翻弄され続けてきた奄美が生み出した酒は、黒ダイヤとも呼ぶべき黒糖を大衆の酒としてよみがえらせたものだった。
 黒糖焼酎は平穏を取り戻した奄美の反骨の象徴のように思えてくる。黒糖焼酎による島の自立を願わずにはいられない。
<< 第18回 < 春秋謳歌 TOP > 第20回 >>
 
  Copyright(C)日本酒造組合中央会 2002. 日本の酒 - ホームページ -