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長野県東部。周りを国定公園に囲まれた高原状盆地、佐久地方。清流と農作物の恵みと寒冷な気候条件が揃い、古くから良質な酒が醸されてきました。佐久平駅に降り立った瞬間の空気の冷たさ、遠くに見える山々の連なりを眺め、この自然が佐久地方の酒造りを守り続けていると実感することが出来ます。
駅から徒歩15分、商店街の真中に構える小さな蔵。「創業は350年以上ですが蕎麦焼酎の歴史はまだ30年くらいです。信州といったら蕎麦。蕎麦で本格焼酎が造りたくて佐久の蔵元数社で(信州蕎麦焼酎グループ)を結成し、手探りの状態で蕎麦焼酎の製造、研究を始めました。それが佐久の蕎麦焼酎の始まりです。その後グループは解散しましたが、うちでは蕎麦焼酎はもちろん、松本市が加工用トマト生産量日本一になった20年前の昭和60年当時、トマト焼酎の製造も始めました。トマトに多く含まれたミネラル、ビタミンが微生物の餌となることによって発酵が早すぎる傾向がありますが、低温発酵で減圧蒸留の上品でフルーティな『女性に人気の焼酎』を目指しています」と蔵元さん。一口頂くとトマトという感じは強くありませんがフレッシュで植物的な香りがします。女性に人気ということが分かるような気がしました。
次は佐久平から小海線で頭を垂れた金色の稲穂を眺めながら約30分。日本で一番海から遠いまち、臼田に到着です。ここの蔵元さんも(信州蕎麦焼酎グループ)の一員でした。「面白いことにグループ結成前の昭和40年の初めに地元のある病院の院長さんが『痛風はこれに限る!』と言って球磨焼酎一升瓶持参で色んな店に現れ、それが地元で噂になりました。ですからその後の蕎麦焼酎販売当初、焼酎という言葉に既に慣れていた佐久の人達はすんなりと受け入れてくれた。院長さんのお陰です。その後、各蔵で蕎麦焼酎を造るようになって、どうしても蕎麦100%(蕎麦麹)焼酎を造りたいと思いました。しかし日本酒の黄麹だと上手く蕎麦についてくれず、黒麹や白麹を試してみたいが、1つの蔵に何種類もの麹を使うという危険は冒したくない。ですから、また佐久の蔵元何社で力を合わせ、他の麹を使える焼酎蔵を建てたいと思っています。今の時点では地元産の蕎麦は100%ではない。夢は地元の蕎麦100%の蕎麦麹蕎麦焼酎です」と語られました。
30年前に結成され解散した信州蕎麦焼酎グループ。再結成の日は近いかもしれません。新しい佐久の蕎麦焼酎を味わえる日を楽しみに待っていようと思ったのです。 |
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