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「製品を殺さないように、製品が伸びるような商売を」
−東京市場での本格焼酎&泡盛卸の草分け的存在だとお聞きしたのですが
太田氏:そうですね。でもお酒自体の取り扱いを始めたのは遅く、明治、大正の頃ですね。当時、問屋、小売などという区分の免許もないし、清酒はうちでは扱わせてもらえなかった。売る物が無かったから、戦前頃から焼酎を中心に取り扱うようになっていったのです。
−需要はどういうところにあったのでしょうか?
太田氏:当時、地方から農家の次男や三男坊達が出稼ぎに東京や大阪などの都市に来て、街を形成するための労働者となりました。工事、土木関係など、体を使う仕事です。アルコールを摂取して、ぐっすり寝て、朝に仕事をする。そのためにはお酒が非常に大切な存在でした。そこで、価格のぐんと低い焼酎が選ばれた。だからこそ「労働者の酒」的なイメージが強く、「焼酎なんて!」と仰る方も最近までずっといました。でもうちはずっと本格焼酎&泡盛の問屋をやってきたから、もちろん何の抵抗もありません。世間も「太田は焼酎」って思っていましたしね。
−「太田は焼酎」ですか。
では太田商店さんの本格焼酎&泡盛にたいするこだわりを教えてください。
太田氏:酒という、そのものの形を、飲む人に伝えたいですね。今は少なくなったにせよ、色々な偏見があった。「泡盛なんて」、「焼酎なんてのはさ」、「芋は臭い」そんな言葉が横行していたのです。それなのに急に考えられないような本格焼酎ブームが来たりして…。分かってくれる人に、分かってくれるような売り方をしないと製品が死んでしまいます。製品を殺さないように、製品が伸びるような商売をしなくてはならないのです。そのためにも私は機会を作って蔵元に行くようにしています。行って、見て、話してみると、ちゃんと造っているかそうでないか分かるものなのです。1人で行くと判断を間違えてしますから皆で行き、後で話し合いです。顔を合わせることで我々と蔵元のお互いの信頼も生まれ、我々の、製品に対する愛情も出来てゆくのです。
―これからはどのような経営をしてゆきたいですか?
太田氏:最近は一般消費者の方がすごく物知りになってきた。色んなお酒を知っているし、飲む機会も多い、TPOに合わせてお酒も変える。そういう賢い消費者に支持してもらえることを考えなくてはいけないなと思います。本格焼酎&泡盛の蔵元さんは苦難の時代が長かったから、消費者に喜んでもらえる商品を出すのに熱心ですし、真面目ですが、私達卸業界もみなさまにお酒を美味しく、気軽に楽しんでもらうために努力と提案をしてゆきたいですね。
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