南国情緒溢れる“島酎”は、薩摩伝来のいも焼酎が起源
九州や沖縄が中心の本格焼酎と泡盛の伝統産地にひとつだけ飛び地がある。それは東京の南方海上の伊豆諸島である。幕末の嘉永6年(1853年)に鹿児島流のいも焼酎造りが八丈島に伝わったのだ。伝来の経緯はというと、薩摩藩御用の廻船問屋の丹宗庄右衛門が、島津藩が幕府から問われた密貿易の罪を一身に被り流されてきたのだ。
当時の八丈島は食糧事情も悪く、穀類から酒を造ることは飢饉を招く恐れがあり禁止され、どぶろくを楽しむこともできなかった。ところが、18世紀前半から甘藷の栽培は軌道に乗っていたので、いもを入手することはできる。そこで丹宗が鹿児島からランビキなどの蒸留装置を運び込み、島人に甘藷焼酎の製法を伝授したのである。ただし、鹿児島では米麹を使うのに対して、こちらでは麦麹を使うという違いはある。
現在では、大島・神津島・新島・八丈島・青ヶ島の5島9社によって、焼酎が造られている。最近ではいも焼酎だけではなく、麦焼酎や樫樽貯蔵焼酎も造られるようになった。南国情緒溢れる島酎はほとんど島内で飲まれるので、本土にはあまり出回らない。どうしても飲みたい向きには、竹芝桟橋内にある売店「東京愛ランド」に行くと一通りの島酎の銘柄は揃っているので便利である。
酒文化研究所 狩野卓也(日刊ゲンダイ 11/13掲載)
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