宮本武蔵が焼酎を造っていた??
NHKの大河ドラマで人気を博している宮本武蔵。彼は岡山の生まれだが、剣の修行で日本全国を旅歩いたこともあり、日本中あちこちで武蔵の人気にあやかったご当地のお酒が生まれている。
まあ、それはそれでけっこうなことではあるが、いずれも単に武蔵がその土地に逗留したとかそこで戦ったとか、わずかな縁だけのことであり、少し物足りない。
そもそも求道者であった武蔵がお酒を飲んだのかどうか。若い頃は、常に回りには敵がいたであろうからあまり深酒することはなかったことだろう。
しかし酒に関しておもしろい記録が残されている。それは晩年、肥後細川藩の客分になってからのことだというから、武蔵の年齢は60才前後になる。八代の菱屋という菓子屋でハト麦を使った名菓「苡忍糖」(よくいにんとう。おこしの一種)や酒造りを行ったらしいのだ。その店は、残念ながら昭和に入ってから廃業してしまったのだが、菓子のレシピは健在で縁者の方に引き継がれているという。
さて、本題のお酒の方であるが当時の熊本では清酒は造られておらず、赤酒という灰汁(あく)持ち酒か焼酎が主流であった。原料がハト麦というあたりからは焼酎の可能性が非常に高い。これこそご当地の酒として復活させて欲しい逸品である。
酒文化研究所 代表取締役 狩野卓也(日刊ゲンダイ6/6掲載)
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