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古事記と前後して、奈良朝時代(700年代)に編さんされたといわれる「播磨風土記」に<神に供えた糧が枯れて、かびが生じた>ので、<すなわち酒を醸さしむ>とあるのが、米を原料とした酒についての最も明らかな記述とされています。有名な「魏志東夷伝」の「倭人の抄」(200年代)では倭人のことを<人性酒をたしなむ>と評し、喪に当たっては弔問客が<歌舞伎飲酒>をする風習があることも記されており、我が先祖が古くからお酒を愛していたことがうかがえます。
一説によれば、日本には古くから“民族の酒”ともいうべき民間伝承の酒があり、一方、大和朝廷の確立とともに中国の文化や技術を取り入れた“朝廷の酒”ができたといわれています。すでに平安初期には、現代の酒とほぼ変わらない製法でいろいろなタイプの酒が造られていたことが「延喜式」(900年代)に記されています。やがて、江戸時代における“商人の酒”として商品化されるにいたりますが、これは各地伝承の民族の酒の技法と朝廷の酒の技法とが交流して生まれたもので、現代にも通じる“酒屋万流”の時代が到来します。
日本酒は、独特の製造法が現在にも生きています。 そのひとつは、糖化と発酵を同時に進行させる高度な製造法「並行複発酵」です。しかも、アルコール分が20度程度も出るというのは、日本酒だけです。もう一つは、1800年代半ばになってパスツールが発見した“殺菌法”に先立ち、すでに室町時代(1400年代)において、しぼった酒を貯蔵前に65度程度に加熱、殺菌し、酵素の動きを止めて香味の熟成をはかる「火入れ」を行っていたという記録が残っていることです。
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