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しとしと雨に曇り空、何となくすっきりしない気持ちを抱えて日々暮らす梅雨…気晴らしに飲む酒はどんな酒がいいでしょう。今日は泡盛が主役の、心がすっと晴れるような話をご紹介します。江戸後期に書かれた『責而者艸』(せめてはぐさ)による逸話です。
時は江戸時代の初め、薩摩藩は島津光久の時代のことです。幕府の要人に贈る琉球泡盛が不足し、家臣は困り果てていました。当時、薩摩でも泡盛を造っていましたが、「盃上に盛リアグルコトモ少ク、…琉球ニハ及バズ」と質の高さで本場に及ばなかったのです。
“泡盛”の名の通り、高いところから盃に注げば、泡がモコモコと盛り上がるほどの濃厚さと酒精の強さが品質のバロメーターであったのでしょう。家臣たちは苦肉の策として、薩摩産と琉球産を混ぜることを藩主・光久に提案します。戦国乱世の余韻を残す、苦難の時代を生き抜いてきた名君はこう諭したといいます。
「確かに我が薩摩の泡盛は献上には適さない。しかしながら、琉球にさらなる重課を求めるのはいかがなものであろうか。そもそも泡盛は、酒盛りで多量に飲む酒ではない。少しずつ味わうことで、養生に適(かな)う酒なのだ。酒器を小さくして贈ればよい」。泡盛の希少性を知り、琉球の民を慮(おもんばか)る、まさに智君の発言です。
光久の英断に乾杯するなら、やはり琉球泡盛でしょう。誰より光久自身、この酒の愛好家であったのかもしれませんね。 |
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