|
|
学問の神として知られる菅原道真公を祀る全国の天満宮の総本社、福岡県、太宰府天満宮に到着しました。梅の時期にはまだ早く、雪は地面に凍りつき、濃い茶色の裸の枝が目につきます。それでも少しずつ暖かくなる日差しを感じながら大宰府名物『梅ヶ枝餅』を片手に本殿へ。参拝者は多くはなく、家族連れや若いカップルが目立つ中、何か違和感を感じます。それもそのはず、飛び交っている言葉の半分以上がハングルなのでした。「日韓両国において最も近い距離に位置する都市、福岡と釜山は、はるか昔より人的・物的に交流が活発に行われてきました。現在でも福岡人にとっては東京より韓国に行くほうが値段や時間的にも手軽。博多港からはフェリーも出ていますし、韓国人から見ても福岡は手軽な訪れやすい都市なのです」と博多っ子は語ります。
「福岡県で盛んに製造されていた粕取り焼酎の歴史を見ても、他の原料の本格焼酎での液体醪(もろみ)蒸留とは違い、酒粕を団子にして籾殻をまぶしてセイロで蒸す(個体醪蒸留)製法が中国、朝鮮での蒸留法(固体醪蒸留)からの影響があると思われるため、福岡・北九州の本格焼酎は朝鮮半島経由の北回りルートの可能性が高いと言われています。戦中戦後すぐは僅かな雑穀、芋、米粉などで製造が試行され、生活の安定と共に米や麦焼酎が好まれるようになり、現在では胡麻、人参、緑茶など様々な原料の焼酎が醸されています。しかし鹿児島では芋焼酎、熊本では球磨焼酎、大分では麦焼酎が代表とされるように福岡県での焼酎の基礎を築いた粕取り焼酎を見直そうという動きが最近活発になりつつあります」と大宰府から電車で約1時間、福岡市郊外の蔵元さんは語ります。
そもそも粕取り焼酎は江戸時代の農業に大きく貢献しました。農家は年貢米以外のお米、手持ちの米を清酒業者に持ってゆきました。醸された清酒は清酒業者のものとなり、粕を蒸留してできた焼酎と極上の肥料である酒成分の抜けた粕「下粕」は農家のものとなりました。酒造業者と農家が共に利益を得た粕取り焼酎の製造は『米→酒→焼酎+肥料→米』の自然に優しい循環型農業だったのです。
北部九州、福岡県の平成16年度の本格焼酎の消費数量は39,962kl(成人1人当たりの本格焼酎消費量9.8L:全国5位)、佐賀県5,908kl(8.6L:7位)、長崎県10,138kl(8.5L:8位)。さらに同三県は九州での清酒の消費量(1人当たり)も上位を占めます。北部九州は現在でも本格焼酎と日本酒、2つの国酒の2つの歴史を、紡ぎ続けているのです。 |
|
|