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鹿児島県内最大の繁華街「天文館」。薩摩芋の焼き菓子の甘い匂いがプンと漂う中、路線電車を横目に歩いて約5分、宝納酒店さんに到着しました。人通りの少ない道路にたたずむお店。地元鹿児島の蔵元さんと共に学ぶ店主、若松隆雄さんにお話を伺いました。
「取材や勉強のため鹿児島に来て、すぐ蔵元さんへ行ってしまう方が多いと聞きます。いきなり頂上(蔵元)へ行くのではなく、芋畑を見に行き、地域のお祭りや行事を体験し、そこの食材を楽しむ、というその土地の背景(山裾)から知ってゆかないと頂上(蔵元)の良いところを理解するのは難しいものです。その土地の歴史、文化に対する蔵の存在理由を知ることによって蔵の、焼酎の『美点』をつかめる事ができるはずです。例えば原料芋は鹿児島、あるいは国内産が良いとされていますが、原料が海外のもので何が悪いのでしょうか。マイナスイメージ?安全性?確証はないのです。海外の芋を輸入しているからといって法律に触れているわけでもないし、逆に考えればグローバル化に貢献をしているとも言える。結局何が良いというのは分からない。それぞれの蔵の『美点』があるのです」と若松さんは語ります。
鹿児島の風土から生まれる芋焼酎には、個々の蔵が県内各地域に根付いて今日の発展を支えているのです。
「また、今回のブームで多くの方が鹿児島の芋焼酎に興味を持ってくれました。そこで私達、地元の人間が学ぶべきことも明らかになりました。地元と都会の違いです。鹿児島の人はおっとりしているので東京の人の行動の早さ、口調の強さについていけず、東京の人にとっては、鹿児島内で許されていた“うっかり(忘れた、間違えた)”は信じられない行動でした。しかも、東京の需要スケールになれていなかったため、種子島や奄美の焼酎が都会に吸い上げられてしまい地元から無くなってしまった。地元の人に飲んでもらわなくてどうするんだ、と思いましたね」。
しかし、「良いも悪いも良い経験をしました。現代的酒産業の付き合い方を今回のブームで学ぶ事が出来たのです」と若松さん。鹿児島内、様々な影響があったのでしょう。しかしそれによって日本全国の人々が(鹿児島の芋焼酎)の存在を知ることになりました。300年の歴史を脈々とつむいできた芋焼酎。薩摩の芋焼酎はこれからも経験し、学んでゆき、正真正銘「世界の蒸留酒」となるのもすぐそこ、なのかもしれません。 |
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