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「地元のおじさんたちが近所の酒屋のラベルが貼ってあるような焼酎をお湯割で飲む、土地のものをその土地で飲むという贅沢さもいつまでも残っていて欲しい」
−寄席文字について教えてください。
紅樂氏:相撲の番付文字や歌舞伎の勘亭流と同じように、寄席の世界で使われている独特の書体です。天保7年頃、江戸は神田に住む、紺屋職人の栄次郎が歌舞伎の勘亭流と千社札に使われている江戸文字とを折衷して考案した書体が寄席文字の原型、ビラ字だと言われています。時代は移り、大正10年。噺家になった故橘右近(1903〜1995)が明治から大正にかけて名人と謳われた、二代目ビラ辰のところへ使いに行く度に、その筆遣いを熱心に見て覚え、楽屋帳などに書いたりしていたそうです。関東大震災でビラ屋が被災して、ビラ字も見られなくなっていましたが、戦後ビラ字が書ける右近は、噺家をやめて、各所に再開場する寄席の看板を一手に引き受け、昭和40年、八代目桂文楽師匠の勧めを受け「橘流寄席文字」と名付けて家元になりました。寄席文字の極意は、文字そのものを客席に見立て、墨黒々としたところをお客様、余白は空席を表しているところ。現在、都内の四つの定席と国立演芸場、合わせて五軒の寄席はすべて橘流が彩りを添えています。
−寄席文字の世界に入ったきっかけは?
紅樂氏:大学を出て鹿児島に戻っていたのですが、ある日突然、「寄席文字を書いてみたい!」と思い立ち、落語協会に問い合わせて教えて頂いたのが今の師匠です。初めは断わられたのですが、粘りに粘ってFAXでのやり取りを許して頂き、鹿児島で丸1年必死に勉強しました。その後「やりたいことはやりたい」と上京し、更に上を目指して勉強。平成15年に寄席文字の伝承者として認定して頂きました。
−鹿児島にいらっしゃったということですが、本格焼酎とは?
紅樂氏:そうですね。鹿児島では周りの大人が、毎晩地元の芋焼酎を飲んでいましたので、身近なものでした。実は、鹿児島在住中の寄席文字の手習い料が、師匠の希望もあり「鹿児島の旬の名物」だったのです。師匠が焼酎をお好きだと分かり、芋焼酎には何度もお世話になりました。
−東京にいらっしゃってからは?
紅樂氏:飲みますよ。でも「鹿児島からだから詳しいだろ」と言われるのですが、そうでもない。地元で見かけないものばかりが目に入りますね。本格焼酎が全国に広がりつつあり、色々な地域の方に楽しんでもらえるのは嬉しいことなのですが、地元のおじさんたちが近所の酒屋のラベルが貼ってあるような焼酎をお湯割で飲む、土地のものをその土地で飲むという贅沢さもいつまでも残っていて欲しいなあとも思います。
−これからの目標は?
紅樂氏:伝承者というのは、しっかりと受け継ぎ、次の方々にお伝えする責任があるということ。十分に役割が果たせるように、日々精進してゆきたいです。 |
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